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「志あるところに道は拓かれる①」(石)

 今年で44歳となる彼は、過去には筑波大学で准教授として、そして現在は早稲田大学に籍を移して後継の指導にあたる一方で、若手の経済学者としても将来を期待されてきました。けれども、彼はいわゆるエリートでは決してなく、振り返ってみれば、10代の頃の彼の人生のほとんどが挑戦と失敗の繰り返しでした。彼にもし才能と呼べるものがあるとしたら、それは志を捨てないこと、決して挫折しないことです。


 彼との出会いは、彼が11歳、小学校5年生の時までさかのぼります。成績は上々だったのですが、ツワモノぞろいだったその学年の中では特に目立つ存在ではなく、やがて6年生になっても3クラス体制の2クラスに所属する生徒だったのです。第一志望は桐朋中学、併願校は新宿の成城中学でした。彼と共に闘った2年間は瞬く間に過ぎ、1クラスからは開成中学2名、桜蔭中学1名、桐朋中学3名、巣鴨中学1名、立教女学院中学2名、立教池袋中学1名、おまけに鹿児島ラサール中学2名というような華々しい結果が出たものの、彼の受験は11敗。目標だった桐朋中学には届かず、成城中学の合格を手に入れて終了しました。


ところが、自分の闘いに決して満足していなかった彼は、成城中学へは進学せず、地元の公立中学へ進学し、目標を高校受験にスイッチして、再び闘いの渦中へ身を投じていくことになります。


 中学1年生になった彼は、そこは中学受験組の強みで、いきなり先頭集団の仲間入りです。最後まで2クラスに甘んじた中学受験のときとは違います。3年間をトップクラスで闘い抜き、目標を早慶の附属高において、いよいよ彼の雪辱戦が始まります。

つづく

2017/10/06 14:15